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柏崎七街道。越後柏崎。「米山さんから雲が出た」と唄われる霊峰米山を西に仰ぎ、日本海の風光をも享(う)け、その自然、歴史、文化が愛(め)でられる佳地です。

からむし街道 じょんのび街道 鯖石街道 北条毛利街道 石油街道 綾子舞街道 北国街道

 「越の国」と呼ばれた古(いにしえ)より展(ひら)けた、北国往還の要衝でもあります。

 古来より、街道は人々の往来や文化の伝播、物資の移動に活かされ続けた地域の動脈です。時代が進み交通手段が変わっても、そのルート自体はほぼ同じです。主なる街道は地域の特色を示し、古くは柏崎の宿駅を経て各地に広がりました。このことは、現代でもどれほども変わっていません。

 広い市域から成る柏崎においては、主な街道沿いに多彩な地域文化が生まれ、歴史・民俗・気風に、景観と海・山の幸が相まって地域ごとの特色が醸成されました。これを俗に「土地柄」と言います。そこに、他所(よそ)とは違う柏崎の特質があります。

 地域の観光、歴史、文化を実感するには、現地を訪ねて見聞するのが最良です。どの街道も温故から今様まで、多彩なバリエーションを持っています。世は正に「癒し」の時代。それぞれの地域の「光」を「観る」べく、良質な好奇心を持って巡れば、必ずや日常を超えた新鮮な発見と安らぎがあることでしょう。

 先ずは、街道を訪ねてみることから始まります。

柏崎刈羽郷土史研究会  平原順二

北国街道

北国街道

西は鉢崎より北の石地まで、海沿いに延びる当地の主街道。
古くは奈良期に官道に始まり、江戸初期に、徳川幕府が主要五街道に準じる街道と定め整備した。殊に、幕府は佐渡相川で産出した金銀を江戸へ送る経路として重要視した。また、鉢崎に関所を置き、厳しく「ご法度(はっと)」を知らしめた。他方、庶民らは時機を得て、街道の流通利便を知り、北国道の宿場としての「柏崎町」が形成された。この流れは、のちの柏崎町中(なか)の隆盛につながり、現代に続いている。北国の主街道だけに、古来、多くの貴人・文人が旅した記録も残る。

綾子舞街道

綾子舞街道

柏崎市街、広小路で北国街道と分岐して南へ向かい、上条郷、野田、中山峠を経て女谷に至る。
中世、上条郷は越後国主上杉氏の支家上条上杉氏の本拠地であり、同家は屈指の名門として長く栄えた。琵琶島宇佐美氏はその家宰にあたる。野田より東へ山越えで別俣郷の入る。この小盆地は素朴にして自然豊かな佳地で、心地良い郷愁を誘う趣きがある。女谷に受け継がれる古典芸能「綾子舞」は500年もの伝統を保ち、都の気品を今に伝える典雅な舞で、毎秋に現地公開されている。

からむし街道

からむし街道

高柳町の石黒・寄合地区を通る街道。
「からむし」とは、植物の「青苧(あおそ)」の茎のことで、その繊維は越後上布の原料となり、中近世には広く珍重された。戦国期の越後上杉氏はその効用に着目し、特産物として他国に流通させ、その利益を軍事力に源資にしていた。佐渡相川で金銀を産する前のことである。「からむし」は今も石黒地区に普通に自生しており、近年、青苧布を復活させる活動も始まっている。この街道沿いは山深いが、古い住家がよく残り、懐かしい風景を見ることができる。

じょんのび街道

じょんのび街道

柏崎から鯖石川上流沿いに、魚沼に通じる山間部の主要道。
「じょんのび」とは「気楽にくつろぐ」の語意で、気忙(きぜわ)しい日常を一時忘れてリフレッシュすることをいう。高柳地域はその地勢上、市内でも独自の文化・風土を持っている。街道に沿って、貞観園、向かいの黒姫神社、荻ノ島の里、越後門出和紙があり、西照寺や広済寺の歴史物も興味深い。高柳の良さは、地域のシンプルさに有り、日本人の原風景を素朴に感じさせてくれている。また、街道より見下ろせる鯖石川の渓流はいつも美しい。

鯖石街道

柏崎市街、旧本町7丁目角で北国街道と分岐して四谷方向へ直進し、田尻、安田を経て鯖石川沿いに南へ延びる。
この街道は俗に魚沼街道とも呼ばれ、江戸中期からの柏崎町商人の主な生業(なりわい)であった縮(ちぢみ)取引きで、生産地の魚沼と結ぶ要路であった。街道沿いの集落は南北の山裾に続き、農業の他に、錦鯉の養殖、牧畜など、他地域にはない特色を持っていた。善根の飛岡集落には、中世の善根毛利氏の居館跡、氏神の八石神社、菩提寺の浄廣寺が一所にまとまって残り、古き佇まいを今に伝えている。

北条毛利街道

北条・長鳥地区。古くは小千谷街道と呼ばれた。
鎌倉初期、鎌倉幕府の重鎮大江広元の四男経光は毛利氏を名乗り、地内南条に居館を構え定住した。以来330年、北条毛利氏は有力武門として越後上杉氏に属し、北条・長鳥・鯖石全域に広く勢威を張った。その支系は西国安芸国(広島県)にも及び、毛利元就を生んでいる。街道沿いには、北条城をはじめ山城・居館の跡や、往事からの神社・仏閣が数多く残る。山裾に点在する各集落の有り様は、その地名と共に、中世の姿を現代(いま)に伝えている。

石油街道

石油街道

市内北東部のいわゆる西山丘陵沿い。
『日本書紀』に記される「越国から燃える水献上」の故実は、西山町妙法寺の献上場(おんじょうば)のこととされ、我が国石油発祥の地といわれている。石油の採掘は、江戸初期に妙法寺で手掘り式にて始まり、明治21年、石地の素封家内藤久寛が日本石油会社を興し、出雲崎尼瀬で機械堀りに成功してから飛躍的に発展した。産出地は、北は石地から南の中通地区にまで及び、特に、明治中頃から大正期の柏崎・西山は石油景気に沸きかえった。現在では産出量が激減したものの、採掘は続いており、妙法寺の献上場では、今でも石油が自然に湧き出ている。