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名所・旧跡

鉢崎関所跡
鉢崎関所跡
鉢崎は、上郡(頸城・高田藩)、中郡(刈羽・桑名藩)の境界地区であり、江戸時代に宿屋・御関所・御金蔵が設けられたことから、人の出入りがさかんで大変賑わいのある街であったことが知られています。鉢崎関所は、慶長2年上杉家により設けられ、江戸時代の徳川幕府の全国53関所の1つとして領内出入りを取り締まり、越後頸城地方の三関(関川・鉢崎・市振)として重要な役割を持たされていた拠点です。
ナウマンゾウ化石の発掘
ナウマンゾウ化石の発掘
ナウマンゾウの化石が発掘された場所で、はっきりとした地層が見られます。発掘されたナウマンゾウの模型は、柏崎市立博物館に展示されています。
日蓮着岸の地
日蓮着岸の地
文永11年(1274)流罪をゆるされた日蓮上人は寺泊へ向けて佐渡を出向しましたが、暴風にあい予定から二日も遅れ、ようやく十院坊岩のある海岸に着きました。ここが日蓮着岸の地と云われています。
貞心尼剃髪の地・閻王寺跡
貞心尼剃髪の地・閻王寺跡
貞心尼は、柏崎在の下宿(現在番神)の閻王寺で剃髪し、眠竜尼(みんりょうに)、心竜尼(しんりょうに)という姉妹の尼僧の弟子となりました。姉の眠竜尼は一度結婚したことがあり、穏やかで物静かな方でしたが、妹の心竜尼は行動的で几帳面な厳しい方だったと云われています。貞心尼は、この心竜尼のもとで厳しく仕込まれました。
お弁が松
お弁が松
悲恋の物語、浪曲「佐渡情話」に縁の松ですが、今では縁結びの松として知られています。
お光・吾作の碑
お光・吾作の碑
悲恋の物語、浪曲「佐渡情話」、地元では柏崎の船頭藤吉と佐渡の小木の娘おべんとの悲恋の物語として伝えられています。
陣屋跡及び柏崎県庁跡
陣屋跡及び柏崎県庁跡
かつて柏崎には、桑名藩の越後領総支配所として大規模な陣屋(代官所)が置かれており、明治維新後には柏崎県の県庁が置かれました。現在は、石碑が残るのみですが、貴重な史跡となっています。
浜千鳥の碑
浜千鳥の碑
青い月夜の浜辺には…で始まる童謡「浜千鳥」の歌は、大正八年鹿島鳴秋によって作られ、今も日本の抒情歌の名曲として歌い継がれています。
柏崎勝長邸跡
柏崎勝長邸跡
謡曲「柏崎」にある柏崎勝長の館跡です。伝説によると、柏崎勝長公の家は鵜川の柏の大樹の東北にあったと云われています。勝長は、柏崎の最初の長と伝えられ、室町時代に成立した謡曲「柏崎」(榎並左衛門五郎作のちに世阿弥が改作して完成した狂女物の謡曲)に登場する「柏崎殿」であると云われていますが、その詳細は不明です。
貞心尼の歌碑
貞心尼の歌碑
柏崎駅から海岸線を結ぶ通称潮風ロードの商店街アーケード下には、加賀の千代女、京都の連月尼とともに幕末女流三大歌人と言われている「貞心尼」の歌碑、12基が建立されており、風雅で文学的な雰囲気を味わうことができます。
釈迦堂跡
釈迦堂跡
釈迦堂は、天保3年(1832)に創建された浄土寺の末庵ですが、良寛と親交の深かった貞心尼が住んでいたことで知られています。
ねまり地蔵
ねまり地蔵
ねまり地蔵とは、延命地蔵菩薩のことで、古くから街道の中央に立ち、人々の信仰を集めてきました。また、火除け地蔵との別名もあります。石質は、立地蔵と同じ安山岩質角礫岩(かくれきがん)で、市内東の輪海岸の岩礁に見られるものです。この巨岩に、肉厚84センチメートル、像高184センチメートルの豪快な半跏倚像(はんかいぞう)が彫り出されています。
立地蔵
立地蔵
立地蔵は、向かって左に日光菩薩、右に月光(がっこう)菩薩を脇侍(わきじ)とする薬師三尊石像です。堅くて、細工のしにくい安山岩質角礫岩(かくれきがん)に彫られた薬師如来像は、厚さ44センチメートルの浮き彫りとされ、像高は162センチメートルあります。
不求庵跡
不求庵跡
貞心尼が10年間住んだ釈迦堂の類焼後、没するまで22年間を過ごした庵です。貞心尼の不求庵の生活は、時々、山田静里らの風流人が集まって歌会を催していたので、平穏な日々を送ることができたと云われています。
生田万の墓碑
生田万の墓碑
天保8年の飢饉の惨状を救おうと立ちあがった生田萬の墓と戊辰戦争における日柳燕石、中原猶介等の新政府軍の共同墓地です。
椎谷陣屋跡
椎谷陣屋跡
藩主邸・勤番所・馬場・砲術稽古場・井戸・土塁・門などの遺構が残っており、全体として江戸時代の陣屋の姿を偲ぶことができます。
御茶水井戸
御茶水井戸
歴史的にも大変価値があり、百薬の長とも言われる湧き水です。長い歴史の中で、「不動尊の岩清水」と呼ばれていましたが、明治天皇が椎谷の地を訪れた際、この湧き水が昼食のお茶に使われたことから、「御茶水井戸」と呼ばれるようになりました。
西光寺木喰仏
西光寺木喰仏
木喰上人(1718~1810)は、55歳のとき日本廻回の大願を発し、文化7年(1810)93歳で没する30年余年の間に千体近くの仏像を残しています。その代表的な作品のひとつが西光寺所蔵の「十ニ神将」です。
安住寺木喰仏
安住寺木喰仏
木喰上人(1718~1810)は、55歳のとき日本廻回の大願を発し、文化7年(1810)93歳で没する30年余年の間に千体近くの仏像を残しています。木喰上人は全国で4ヶ所のみ、30体以上の群像を残しています。500年以上の歴史を持つ安住寺には、そのひとつである非母三十三観音が安置されています。
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